こんにちは、タツヤ(@xxodatatsuyaxx)です。
「あなたのためを思って言ってあげているのに・・・」
人生で何回言われただろうかと、辟易するくらい言われたことがあります。
そんなこんながきっかけで人間関係はめんどうくさいなと思い始めたのですが笑、「あなたのためを思って・・・」の深層心理や嘘について考えたことがあります。
「あなたのためって言っているけど、自分のためじゃないの?」
「とはいえ、たしかにぼくのために考えてくれているのも事実だし」
そう、複雑な問題なのです。
今回は、その複雑な問題に対し、その心理は何か?そして、返し方についてご紹介します。
目次
「あなたのためを思って言っている」の心理とは?
前提になりますが、ぼくは良くも悪くもあっさりした人間なので、利害関係がなければ、誰かに何かを言うことは基本ありません。
もちろん、親や友達であれば何かしら言うことはありますが、基本否定することはないですね。
また、自分の方が詳しい場合もありますので、参考程度にこうこうこういうことがあるよくらいは言います。
そこで思うのですが、「あなたのためを思って・・・」なんて人は、よっぽど優れた人か何かしらだと思うんですよね。
もしくは暇なんでしょうね。
「あなたのためを思って言っている」って、どこかしら偉そうに聞こえるのですが、その人が間違っている可能性がありますよね?
その人は正しいと思っているかもしれないけれども、その人が実はお〇カさんで、その間違いに気付いていない可能性があるわけです。
でも、その人はそれが正しいと思うから、「あなたのためを思って言っている」わけですね。
また、その人が暇でしょうがなくて、暇つぶし程度に「あなたのためを思って・・・」言っているのかもしれません。
なぜか?ぼくであれば、ぼく自身が一番大切なので、他人に時間を使うよりも自分に時間を使いたいからです。
暇であることは大事ですが、人のためにその暇な時間を使おうとは思いません。
もちろん、今回の場合であれば、「あなたのためを思って・・・」と言う人は、おそらく親か上司か友達でしょう。(そういえば、意外に上司からそう言われたことはないですね。きっと良い上司だったのでしょう笑)
ただ、この場合であっても、結局同じです。
「あなたのためを思って・・・」と言う親も上司も友達も、よっぽど優れた人なのか暇なのかの二択です。
厄介なこととしては、親や上司は少なくとも年齢ではあなたより上であり、立場が上です(だからといって、優れているということにはならないんですけどね)。
だからこそ、自分は優れた人だと勘違いしているのかもしれませんし、それは実際問題わかりません。
ぼくの実例から考える「あなたのためを思って・・・」の心理
これまでは、「あなたのためを思って・・・」の心理は、自分を優れた人だと勘違いしているか暇かの二択で、実際問題わからないということでした。
後味が悪いですよね?
そこで、ぼくの実例からどうだったかということを考えていきます。
ぼくは外国語大学出身なのですが、フィリピンへ留学したことがあるんですね。
すると、ある方の逆鱗に触れまして、ものすごい剣幕で怒られたことがあります汗
「へっ?留学って良いことじゃないの?」って読者さんもいれば、「その人の気持ちがわかるぅー」って読者さんもいらっしゃるでしょう。
そう、逆鱗に触れた理由が、フィリピンという治安が悪い”だろう”国への留学だったからですね。
リアルガチで人生一番の喧嘩になったわけですが、実はこの時の一言が「あなたのためを思って・・・」という一言だったわけなんです。
つまり、フィリピンに行くと、コ〇サレルということですね。
そして、ぼくは考えました。
「あなたのためを思って・・・と言っているけれど、自分が安心するためかなんかじゃないの?」
「とはいえ、たしかにフィリピンでコ〇サレルされると、ぼくのために考えてくれているのも事実だし」
さぁ、どうする?ってね。
結論から言いますと、フィリピンに行きました笑
いやぁー、その方もその方ですが、ぼくもぼくですね。
で、もう一つ大事な結論ですが、結局ぼく自身はどう考えているかということです。
つまり、留学してよかったのかそうでなかったのか?です。
もし、留学しない方が良かったのなら、まさにその方の言う通りなんですね。
ただ、留学して良かったのなら、その方は間違っていたというわけです。
で、結論なのですが、留学して良かったと思っている自分がいるんですね。
つまり、ぼくが正しくその方が間違っていたということになります。
で、さらに考えました。
あの時の「あなたのためを思って・・・」は結局誰のためだったのか?ということです。
誘導尋問みたいなものですから、もうわかりますよね。
その方自身が安心するためだったんですよね。
もちろん、ぼくも人の気持ちが理解できないわけではないですから、その方の気持ちもわかっています。
だからこそ、非難することもありません。
ただ、さらにもう一つ大事なことがありまして(まだあんのかい!ってかんじですね笑)、留学して良かったという事実がある中で、その方はぼくに反省の気持ちがあるのかどうか?です。
そりゃそうです。
人生一番の喧嘩になるくらいだったわけですから、怒られ損ではないですが、正直意味不明なわけです。
ただ、それはその方のみぞ知るってやつですね笑
実際にあなたのためを思って言ってくれている人はいる!思ってくれている人とそうでない人のぼくなりの見分け方
先ほどの例で何が難しかったかと言えば、その時点では、ぼくが間違っているかその方が間違っているかわからなかったことです。
つまり、どちらが間違っているかわからない以上、結果論でしかわからないんですよね。
ぼくであれば、フィリピンで留学して良かったという結果でもって、ぼくは正しかったことがわかりました。
逆に言えば、結果論である以上、「あなたのためを思って・・・」と言われている時点では、判断できないというわけです。
そこで、どうやって自分のことを思って言ってくれているかどうかを見分ける、ぼくなりの方法をご紹介します。
- 優しさが感じられるかどうか
- 一見優しさが感じられるが、普段は近しい存在ではなく、ひょいとアドバイスしてきた(もしくは、尊敬している人ではない)
まずは1ですが、とにもかくにも優しさが感じられるかどうかがキーポイントだと思っています。
なぜか?ぼくのためを思って言っているわけですから、その人にとって利益はないはずです。
利益がないのにも言ってくれているわけですから、少なくとも怒りっぽくはならないでしょう。
では、なぜ怒りっぽくなるのか?
それは、「あなたのためを思って・・・」と言ってくるその人自身に何か利益があるからです。
先ほどの例であれば、ぼくがフィリピンに行かないことで安心したかったというのが利益になります。
これは、一見ぼくのために見えてそうではありません。
だからこそ、免罪符として「あなたのためを思って・・・」と言うしかないわけです。
どうやら、心理学にも同じような考え方があるようで、「あなたのため(本当は、私がやりたいと思うことをやっているのだけれど)を思って・・・」と言うようですね。
さて、1であれば、そこまで難しくないかと思います。
ただ、難しいのは、一見優しさが感じられる時です。
こういう時は正直難しいものです。
ただ、こんな時は、その人がぼくと近しい存在かを考えます。
また、その人を尊敬しているかどうか考えるのも良いと思いますね。
近しい存在ではないのに(知人であったり、インターネットのどこぞとわからない人)、ひょいとアドバイスをしてくる場合、一見優しさが感じられるだけに注意が必要です。
こういう場合は、「人にアドバイスしている自分ってかっこいい」と自分に酔っている場合が少なくないからですね。
そういう人は、あなたに飽きるのも早いです。
だから、肝心な時は助けてくれませんし、仮にその人が間違っていても、一切の責任もとりません。
そう、酔いが冷めると、あなたから遠ざかっていきます。
そんな人のアドバイスを聞きたいですか?というわけです。
少なくともぼくは嫌ですし、無責任にアドバイスをすることはなくなりました。
結局、よっぽど暇であればさておき、人のことを考えていないで、自分が幸せになるために全力になるべきだと思います。
それもできないのに、ふらっと近よって人にアドバイスをするのは、自分に酔いたいから。
あなたはそんな人のおもちゃになりたいですか?ぼくは嫌です。
結局、全ての責任はぼくたちにある。だからこそ、自分で考え自分で行動しよう
現在進行形で「あなたのためを思って・・・」と言われている方は、さぞつらいだろうなと思います。
まずは、これまでのことを参考にしていただけたらと思います。
ただ、いずれにせよ決断が必要になります。
もしかしたら、あなたが間違っているかもしれませんし、「あなたのためを思って・・・」と言ってくる人が間違っているのかもしれません。
そこで気になるぼくの考え方ですが、結局のところ全責任がぼくたちにあります。
「あなたのためを思って・・・」と言う人が間違っていたとして、その人は99%責任をとりません。
あなたが全ての責任をとらなきゃいけないんです。
ぼくが留学した時は、それこそコ〇サレても良いと思っていました。
全責任を取るぞと。
その決断を後悔するくらいなら、その人の言うことを聞いた方が良いのかもですし、こればっかりは結果論です。
あなたが尊敬する人に聞いてみるのも良いと思いますね。
いずれにせよ、最適解を探す努力は大事です。
まとめ
ぼくは「あなたのためを思って・・・」と言う人の話を聞いた試しがほとんどないのですが、9:1の確率でぼくが正しいなと思いました。
逆に言えば、10に1つの確率で失敗しているんですね。
ただ、先ほどの通り、全ての責任はぼくがとるので問題がありませんし、そこは結果論です。
とはいえ、あくまでぼくの場合であり、人によっては5:5かもしれませんし、わかりません。
自己分析ではないですが、自身がどれくらい根拠があって正しいと思うのかを、客観的に分析してみるのも良いでしょうね。